『参謀と補佐役』
豊臣秀長が『名補佐役』であるそうです。
『名参謀』というのは、日頃から光が当たっていてよく話しに登ります。武田信玄でいえば、山本勘助でしょうか。また、諸葛孔明や張良子房や太公望の名前は有名なところです。組織を司る者や組織で生きる者にとってもこの2つの役割に着目することは重要である様です。
昔から、書記、会計という役職はあります(ちなみに官房室は普通、文書・人事・会計に分かれています)。役割の分化・専門化でしょうか。参謀組織を常設して組織化した最初が『ドイツ参謀本部』だと言う事らしいです。
内部統制と企画戦略、事業部(ライン)の権力分立みたいなものが、世の中には法則のようなものがあるのだろうか。そして、企画の役割が参謀で、総務は補佐役なのだろうか。このときは、営業と技術はどちらかと言うとラインになるのでしょうか?
漢の建国の三傑。大将軍 韓信 軍師(参謀)の張良子房 丞相の蕭何です。蕭何は名補佐役です。
劉備のリーダーシップは勿論のこと、良い部将、参謀と補佐役が必要です。項羽のような圧倒的なカリスマで独裁する必要はないのです。結果独裁に走った項羽よりも天は、人をうまく活用した劉備を勝者に選んでしまいました。
参謀は戦略的発想とマネジメント理論を理解する必要があります。補佐役は、マネジメントとコミュニケーション担当といったところでしょうか。
プロイセン・ドイツでも、首相ビスマルク、軍事大臣ローン、参謀総長モルトケがならぶのも同じ様に扱った言葉があります。
「ドイツ参謀本部」(渡部昇一)より。
ヴィルヘルム1世がフランス王が降伏した夜の祝賀パーティにおいて、「ローンは剣を砥いで(といで)準備し、モルトケはこの剣を用い、ビスマルクは外交によって他国からの干渉の入るのを防いで、プロイセンを今日の勝利に導いた。」という趣旨の言葉をのべた。